2日ほど前から、中一娘の咳が出始めた。
熱はないが、鼻水や喉の痛みが少しある。
風邪か?病院に行かせる?と思ったが、
とりあえずは自宅にあった風邪薬を飲ませ様子を見た。
次の日には少し良くなったが、まだ咳は残る。
ちょうど時同じくして
朝の情報番組を観ていたら
「秋のアレルギー」についての特集があり
これは、もしやアレルギーかも?と疑った。
近くには中学校で合唱コンクールがある。
声も出なければ、本番で咳も出てしまったら?と心配が募り、
結局、病院に連れて行った。
自宅から歩いて5分ほどのかかりつけ医は、
我が家の4人の子どもが、小さい頃から約15年以上お世話になっている。
一時期は毎月のように診察をしていたことも。
きょうだい間で病気がうつり、立て続けに毎日のように受診したことも。
子供が待合室で突然嘔吐した時がありパニックになったこともあったっけ。
と、まあ、過去には本当に色々あった。
最近では末っ子の娘も中学生になり、病院に行くことは少なくなってきた最近だが
診察室で私よりも年上の男性の医師は
聴診器を当て、口の中を診て、娘にどのような症状か、を念入りに聞き。
「風邪かもしれないですね」
と診断した。
「咳止めと、抗生物質と、風邪薬を出しておきますよ」
医師は私と娘を交互に見ながら話した。
診察時は親は口を挟まず、基本的に子どもとの対話を意識するようにはしている。
しかし、
朝テレビで観た“秋のアレルギー”のことが引っ掛かり、
耐えきれず、横から口を挟んだ。
「先生、アレルギーとかの可能性ってありますか?」
アレルギーかどうかの診断は
血液検査をしなければわからないことはあらかじめ承知していた。
後出し質問はずるいようだが、
最初にアレルギーの話を持ち出すのは、
なんだか品がないような気がして口にはしなかった。
医師は「前からそういう症状だったらアレルギーの可能性はあるでしょう」
「もし、この薬を飲んで効き目がない、長引くようだったらまた受診を」
娘に「あれ?今何年生?」と、医師。
「中学一年生です」と、娘。
「もうすぐ合唱コンクールがあって、心配で来て(受診して)しまいました」
つい話したがりの私が、またもや横から口を出してしまう。
「ああ、そう。中学生となると忙しいね」いつも笑顔の看護師と医師。
和やかなムードで、にこやかに挨拶をしてドアを閉めた。
帰宅した夫と、その日にあった診察のことを話した。
朝の情報番組を一緒に観て心配していた夫だったが
「そう、先生がそう言うなら、そうだよね」と納得した様子だった。
家族ぐるみでお世話になっているので、すでに医師の人柄もお墨付。
続けて
「僕らは情報に振り回されているのかもしれないな」と言った。
そうかもしれない。
もっとシンプルに原始的に物事を捉えてもいいのかもしれない。
まずは医師の言うことを信じてみる。
もちろん不安や心配なことは聞けばよい。
もう長きにわたっての信頼関係だ。
子供が4人ともなると、これまで色々な病院の医師にお世話になってきた。
検査もしないでアレルギーと決めつける医師や、
患部以外でも服を脱がせようとする皮膚科の医師や、
目が合わない冷たい印象しかない医師もいた。
単に家から近ければいいと言うものではないし、
腕だけが良ければいいと言うものでもないだろうし、
薬さえもらえればいいと言うものでもない。
最終的には“人柄”に勝るものなし。
正しい診断はさることながら
相手を信じ、自分を信じる。
これこそ
究極のホスピタリティではないだろうか。