日曜は片付けの手を休めて、
ドラマ『北の国から』を。
『北の国から』は1981年〜1982年に放映されたテレビドラマシリーズ。
(他にもスペシャルもある)
倉本聰氏が指揮を取り、
北海道 富良野の広がる大地の美しさと
親子のストーリーを見事に描いた、
これ以上ないと断言したい、最高のドラマだ。
先日、ぼんやり見ていたYouTubeのおすすめ動画で『北の国から』の名シーンが偶然に上がった。
懐かしさと共に見入ってしまう。
思わずFOD(フジテレビジョン運営のオンデマンドサービス)に加入。
なにより観ていて驚いたのは
当時観ていた時とは明らかに異なった視点だった。
大人になった自分が、改めて『北の国から』の見方が変わったのだ。
これをきっかけにドラマレビューを毎週日曜に書きたいと思う。
「なぁんだ、片付けの話ではないのか」とがっかりされるかもしれないが
永遠のテーマである、親とは?家族とは?を深掘りできればと思う。
さてこのドラマ、シリーズで24作ある。
自分でも見切り発車のため、大風呂敷を広げたものの続けられるか?
いささか不安で未熟なレビューになってしまうかもしれないが
ご容赦いただきたい。
東京から富良野の家に越してきた五郎と子供の純、蛍の3人。
かつて五郎が住んでいた、廃屋に暮らすことになった純が放った言葉。
「電気がない?!」
黒板五郎の息子、純が驚いて父にさらに食い下がる。
「電気がなかったら暮らせませんよっ!」
静かに答える父、五郎
「そんなことないですよ」
「夜になったらどうするの?!」納得のいかない純。
「夜になったら眠るんです」五郎。
「眠るってたって、だって、ごはんとか勉強とか。。」不安を隠せない純。
「ランプがありますよ。いいもんです」
五郎の一貫して落ち着いた様子とは対照的な、純の慌てふためいた表情。
脇を固める俳優陣、
いしだあゆみ、岩城滉一、地井武雄、竹下景子、などの豪華な顔ぶれの中でも
特に異彩を放つのが、
黒板五郎(田中邦衛)のいとこ役の北村清吉(大滝秀治)の存在だ。
地元の人間さえ、五郎が住もうとしている家に「とても住めたものではない」「子供を連れて。。」と悲観的。
だが、富良野の地の初日に、いとこの家に泊まった五郎が清吉だけには
自分が“妻に捨てられた身”であることを告白する。
何かを悟った清吉。
それからというもの
静かに受け入れ、五郎をかばう。
特に先だって何かを行動するでなく、穏やかに大きく包み込む。
居るだけでこんなに存在感のある人間っているか?!
当時の超絶かっこいい息子役の岩城滉一が霞むくらいだ。
これぞ父親の存在だろう。
それまでは、「父とは?」父の象徴的なもの、など興味なかったが
本当に強い、というのはこう言った人ではなかろうか。
五郎というのは、ダメ親父、である。
そのダメっぷりがまたいい。
純に車の中で「かそ(過疎)って漢字でどう書くの?」と聞かれても、学のない五郎は話を逸らすし
家にクマが来たと思い込み、工務店の若手の“クマ”だとわかった瞬間、
腰を抜かしそうになって、へらへらと話すくだりは共感と悲哀を感じる。
幼い娘の蛍に励まされ泣くのを堪え、川の水で顔を洗うふりをする。
もう〜〜!!父ちゃん頑張って!!
と思うが、1に立ち戻る。
電気も水道もない家に幼い子供を連れて越してきた。
周りからの反対があっても、富良野に来た。
この1話で感じたのは
父親として、
全てを捨てて、イチからやる「覚悟」だろう。
私には何かを犠牲にしてまでの「覚悟」はあるだろうか?