先日、知人と食べ物の好き嫌いの話になり、
「子供に嫌いなものを食べさせようとして、子供が嫌いなピーマンをみじん切りにして、ハンバーグなどに入れる調理法が大っ嫌い」と言う話になりました。
もっと詳しく言うと
そうことをする人が嫌いなのだと、後になって理解したのですが。
嫌いなものを克服する。
苦手を克服する。
苦手から眼を背けてはいけない。いつかは向き合う時が来るのだから。
そう思うマインドはわかりますが。
昭和の価値観、引きずっていない?
単なる根性論、になってないか?
大昔の話で恐縮ですが
昭和60年代、私が小学生の頃は、好き嫌いなんて言ってられない時代でした。
もともと食事が遅く、しかも今では考えられないほど苦手な食材がたくさんあり、食事自体を楽しんで食べるどころか、食事が苦手でした。
当然、給食の時間は地獄、でした。
食べないと終わらない。昼休みはみんなが校庭で楽しく遊んでいる時間に、
いつも教室の半分、机を寄せた席でいつも一人、運がいい時は私と同じような仲間がいて、ずっと嫌いなものと睨めっこ。
なんとかして、昼休み終了時までに、食べて給食を終わらせる。日常。
ある時、一番苦手なアサリの入った、クラムチャウダーがメニューでした。
アサリの食感がどうしても苦手。いつものように睨めっこしたけれど、どうしても食べられない。
口に含み、飲み込まず、トイレで吐いた経験があります。小学4年頃の話。
そんな経験、悲し過ぎません?
トラウマになり、
今ではアサリのエキスが入ったスープでも
必ず、お腹を下し、嘔吐してしまいます。
レストランによっては、事前に嫌いなものやアレルギーを聞いてくれますが
普段から自分で注意しないと、とんでもないことになります。
嫌いなものは無理に食べさせたら、将来トラウマになってもっと嫌いになる。
そう言っても、愚かなことに
自分の子供が小さい頃は好き嫌いで食べないものがあって、少しうろたえたことがあります。
自分が経験したにも関わらず、です。
まだわからないのか、このバカめ。と今だったら当時の自分に言ってやりたい。
その時、たまたま料理人の森野熊八さんの料理ショーに招待していただいたことがあって、
食事の後の質問コーナーで「子供の好き嫌いってどうしたらいいでしょうか」と熊八さんに質問したことがあります。
約10年も経った、今でも忘れないこの一言。
「それは食事じゃなくて、摂取(※)、だよ。」と熊八さん。
無理やり食べさせようとする行為自体、「摂取」と。
ガーーン、と打ち砕かれました。
摂取・・生物が物質を食べたり飲んだり吸い込むなどにして吸収すること。
(ウィキペディアより引用)
苦手なしめじは避けてもいい。
魚の皮は残してもいい。
子どもが嫌いなのがあっても、私が食べたくて入れてしまいますが。
嫌いなものがあれば、先に避ければいい。
でも頑張って最後にはお皿を綺麗にする努力もそれなりに大事だよ。
食材の生産者の方や作った人に感謝することも大事だから。
ただ、無理はしなくていい。
家族からリクエストがあれば、
いただいたアサリ、潮干狩りで採ったアサリ、買ったアサリを
アサリの酒蒸し、アサリのバター醤油など。家族のために調理します。
結構食欲をそそるいい匂い、ですよね。
家ではおいしいね、と言って食べる食事の時間。
これだけでいい。
食べるとか食べないとか、そんな「無駄なこと」いらない。
あ、わたしですか?
今では食べることが日常の楽しみの一つ、です。
気づいたら、好き嫌いがなくなる、ってこともあるんです。